むかがた ちおん 著

  小学5年の夏、家の屋根にアシナがバチの巣ができた。
  ここ何年か毎年できている。

  僕は屋根に上って巣を取ることにした。
  これまでも何回か取っている。

  いつも巣を取ると蜂の子を取り出し、おとうちゃんにフライパンで炒ってもらう。
  塩を振りかけて、僕と弟の"もゆ"はうまいうまいと言って食べた。

  おかあちゃんはいつも気持ち悪がって食べない。

  その日も屋根の上でほうきを使い蜂を追い払う。
  蜂がいなくなったところで素手で蜂の巣をとる。
  何回かやっていたので油断していた。

  そのとき、ぶうんという音がして顔を上げると、蜂が目を狙って飛んできていた。
  とっさに手で目をかばう。
  次の瞬間、激痛がはしった。僕は下唇を刺されてしまった。
  おもわずのけぞり、2、3歩よろけて、あやうく屋根から落ちるところだった。

  瞬間的に痛かっただけで、もうなんともない。

  僕は蜂の巣を持って屋根から降りた。
  家に入り、ちゃぶ台の上に蜂の巣をおいて、蜂の子を取り出していると
 なんか下唇が腫れぼったい感じがする。

  近くにあった手鏡を覗き込んで顔を見る。
  「わはははははっ」と思わず声を出して笑ってしまった。
  見事に下唇がはれあがって、異常に突き出ている。
  1センチ以上突き出ていそうだ。
  すげえおもしろい顔になっている。

  弟の"もゆ"は、なにごとかと僕の方を見た。
  僕はすでに両手で唇をかくしていた。

  唇をおさえている僕を見て、なんでもないはずはないと
  「ねえ、どうしたの。」としつこく聞く。

  「蜂に刺された。」と僕は答えた。
  「どうなったの。」と"もゆ"。「なんでもない。」と僕。

  そんなわけないだろうという顔で、「ねえ、見せてよ。」と"もゆ"。
  「やだ。」と僕。

  「見せてよ。」、「笑うから、やだ。」
  「笑わないから見せてよ。」「やだ。」
  「ぜえーったい笑わないから。」そんなやりとりを何回も繰り返す。

  "もゆ"は絶対に笑わないと決意した真剣な顔で僕を見ている。
  僕は観念して、手をどけて"もゆ"に見せた。

  「ぎゃははははははははははははははははっ」
  そんなに笑う。そんな勢いで笑う人を初めて見た。

  息ができないくらい笑っている。
  ちょっと落ち着いて、また、こっちを見た。
  「うひゃひゃひゃひゃひゃひゃっ」「ひーっ、ひーっ」と
 涙を流してまた笑う。

  僕はぶ然としていた。

  そんなにか、と思い、僕は手鏡で自分の顔を見た。
  「ぶははははははははははっ」と僕も笑ってしまった。

  ふたりで笑い始めたので、相乗効果でしばらく笑いが止まらない。

  "もゆ"は、僕を見るたびに、僕は鏡を見るたびに、涙を流して笑った。

  そのうちに、上唇も腫れてしまった。
  上唇と下唇が同じぐらい突き出して、しかも分厚くなって
 最初よりおもしろい顔になっている。

  その顔を見て、また、ふたりはこらえきれず、
  「ぶわっはっはっはっは、うひっうひっ。」
  「だははははははは、げほっげほっ。」
 と、笑い転げた。

  しばらくすると、唇だけでなく顔の下半分がふくれてしまった。

  さっきまでよりは、可笑しくないが、まだ、十分におもしろい。

  そのぐらいになったときに、おかあちゃんが帰ってきた。
  おかあちゃんは僕の顔を見ても、「おや、おや」と言うぐらいで
 そんなに笑わなかった。

  念のために、かかりつけのお医者さんのところに行くことにする。
  病院に行って、診察室に入ると、先生が「今日はどうしました。」と言い
 振り向いてこちらを見た。

  「わっはっはっはっは」と先生は笑った。
  おかあちゃんも「あははははは。」と声に出して笑った。
  やっぱり可笑しかったんかい。
  僕はちっともおもしろくない。
  事情を話すと、中和するための注射を打たれた。

  夕方、家に帰って、しばらくするとおとうちゃんが帰ってきた。
  ひとしきり笑われた後、「記念に写真を撮っとこう。」と言われる。
  僕はやだなあと思いながら写真におさまった。

  次の日、まだ顔が腫れていたので学校を休んだ。

  後日、おとうちゃんは親戚中に手紙と共にその写真を送った。
  そんなことする・・・、と僕は思った。


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